スリランカへの道・突入編

 

その後のまわりのアメリカ> 


6月30日(金):スリランカ出発前日。大学近くにあるいつもの理髪店で,「これから2ヶ月間暑い国に行くので,さっぱりさせて欲しい」と注文。かなり短くしてもらった。まぁ,2ヶ月は持つかな。暑い国では髪の毛も伸びるのが早そうだ。

 午後4時から新宿のJICAオフィスで最終ブリーフィング。一緒にコロンボに派遣されるKさんとともに,危機管理について,専門の職員から30分ほど話を聞いた。その内容は,1Self defence 2無抵抗主義 3危機管理意識の持続 4日本国政府からの派遣であるという意識,というのがが主なポイント。で,対応策として大まかにさらに四つ。一つは,目立たないこと,二つ目は,恨みを買わないこと,三つ目は,用心を怠らず,何かいつもと違うことがあれば,その感覚を信じて危険を回避すること。最後に自分の行動がパターン化しないように気を配ること。  その後スリランカの現在の状況と行ってはならないところの確認。外務省の海外危険情報のサイトを見ると,LTTEの拠点であり内戦の場でもある北部州が危険度5で退避勧告が出されているので,ここは当然立入禁止。その他の地域についても最低でも危険度2の観光旅行延期勧告が出されているので,着任してからも,よけいな場所には行くなということのようだ。その他BBCのウェブサイトにあるLTTEによるスリランカ紛争の歴史をまとめたページや,北部ジャフナ半島での最近の動きを記したインディア・トゥデイのページアメリカ政府の旅行情報ページなども役に立ちそうだ。最新情報では,LTTEの日本支部があったことが確認されたというニュースも。いろいろな話を行く直前に聞かされて,不安をあおられただけのような気もするが,僕らの注意を喚起するという意味では,成功だろう。担当者から,ペラデニア大学歯学教育専門家としての委嘱状を渡された。

 続いて,チケットやパスポート関係を担当してくれたJTBのAさんからこれらの引き渡し。この人は,本当に気持ちよく仕事をしてくれた。実際に会うのは初めてだが,最後までてきぱきと仕事をこなしてくれたと思う。  その後ヨドバシカメラで,変圧器とプラグの変換器具を追加で購入。電池やフィルムも買い込んで,大学へ戻ったら,もう7時をまわっている。教材になりそうな教科書やスライドを鞄に詰め込み,身の回りをいろいろと整理していたら,結局終バスをのがしてしまった。旅立つ瞬間まで休む暇がない。

スリランカへ

7月1日(土):結局朝までパッキングするはめに。なんとかスーツケース2個と機内持ち込み用のキャリーバッグとリュックにすべての荷物が収まった。眠い目をこすりながら,家族と成田空港へ東京からリムジンバス。今日は,成田空港にJTBの社員が待っているというので,箱崎ではチェックインせずに,空港まで直接行く。

 スリランカまでは,シンガポール航空を使う。JICAでは,飛行時間と自分の業務上の格から飛行機のシートのクラスが決定されるとのこと。ありがたいことに自分はビジネスクラスが使えるとのこと。第1旅客ターミナルでJTBの職員が待っていてくれた。が,しかし,連絡不足からか搭乗手続きをしているシンガポール航空の係員のお姉さんからいきなりの重量オーバー宣言。JICAの派遣は,60kgまでビジネスクラスならOKという話ではなかったのだろうか?こんなことくらいは,最後に確認しておいてくれないとなぁ。ひどい話だ。トータルは72kgで,僕の持ち込める総重量は30kgまでだという。超過料金は,なんと10万円!「もうすでに10kgサービスしてこの値段です。」ボーディングパスを渡しながらお姉さんもなんだか冷たく言い放つ。待機していたJTBの人が払ってくれたが,結局これはどこに請求が行くんだろう?一緒に旅立つほかのKさんやMさんなどの専門家は,大丈夫だったようなので,少なくとも僕のミスではないと思うのだけれど。ここまでくるまでにも,日本側に問題点が山積しているのはわかっていたのだが,今回はJICA?JTB? さすがに最初からこんなのだと先が思いやられる。  

 それでも荷物を何とかチェックイン。手持ちの現金が300ドルだけだったのが,なんとなく心配になったので,さらに空港内の銀行で200ドル換金して追加。日本円で直接持ち込んだ方が,日本円をいったんドルに替えて,スリランカ国内でルピーに替えるよりは,為替の手数料が安く済むのはわかっていたが,たった2ヶ月だが,日本円よりドルの方が安定しているのではないかと,インチキ相場師としてのあまり根拠のない勘を信じて,ドルの現金を持ち込むことにした。手荷物検査場に向かい,見送りに来てくれた家族にしばしの別れを告げた。単身赴任という実感はまだわかないが,2ヶ月という時間をたぶん理解していないだろう,一生懸命手を振る4歳になる娘の顔をガラス越しに見つめながら,後ろ髪を引かれる思いをなんとか断ち切り,出国審査場へ。

 ビジネスクラスのチケットを最初から持っているのは,実を言うと今回が初めて。せっかくなので,専用ラウンジに行ってみた。おにぎりやサンドイッチなどの軽食や飲み物が用意され,ゆったりしたシートで,ちょっと贅沢に搭乗までの時間を過ごせるようになっている。あまり時間がなかったので,エスプレッソだけごちそうになって,いよいよ搭乗時間。いつもは横目に眺めて行き過ぎるビジネスクラス用の通路から,飛行機内へ。

 用意されたシートは,なんと2階席。シートもゆったりしているのでやっぱりビジネスクラスは,ありがたい。このフライトのビジネスクラスは満席。エスニックな前菜も付いた食事もそこそこおいしくて,ついつい全部平らげてしまった。また,席には個別に専用の液晶モニターが付いていて,ワイヤードリモコンで,スーパーファミコンのゲームもできるし,映画は,なんとビデオ・オン・デマンド。映画の途中で一時的にニュースや現在地をチェックしたりしても,きちんと元の位置からシーンが再生されるのは便利。でもメニューの樹状構造がちょっとわかりにくいのが玉に瑕かな。なんとこのリモコン,裏返すと電話になっている。1分千円程度かかるのだそうだ。上映される映画は10種類以上。でも,日本吹き替えされている映画は少なく,2カ国語放映の表示があっても,英語とフランス語だったりして,日本語と英語の2カ国語放送はほとんど無し。シートがいいので,いつの間にか眠りに落ちたりしていたものの,結局日本映画の「呪縛」と「ミッション・トゥ・マーズ」を巻き戻したりしながら最後まで見てしまった。「ミッション・トゥ・マーズ」は,要は「未知との遭遇」の焼き直しだな。シンガポールまでは,6時間。時差は,−1時間。なかなか快適な空の旅だった。

 シンガポール空港では,乗り継ぎ便が5時間半後。スリランカへ一緒に派遣されるMさんご家族とKさんと一緒にフードコートで,簡単な夕食。大した金額ではなかったが,カードで支払えたので,面倒がなかった。その後しばらくビジネスクラス専用ラウンジでJICAの対応の悪さを肴にスナックやビールで時間つぶし。そろそろの時間とのことで,搭乗できたのは,夜の11時半。乗ったら乗ったで,荷物があるのに,その持ち主が乗っていないため,セキュリティ上の理由から,さらに30分ほど待たされた。眠いぞ!スリランカまでは約3時間のフライト。ディナーがあるというので,乗るまでにだいぶ食べたり飲んだりしていたのに,つい貧乏性が出て,よせばいいのにスリランカカレーを選んで,ちょっと胃もたれ。スリランカ地上の灯が近づいてきたのは,もう日本時間だと朝の5時。眠気でしっかり働かない体に鞭を打って,タラップを降りバンダーラナーヤカ(カトナヤケ;前の大統領の名前)空港ターミナルまでバスで移動。

 入国審査場では,JICAの現地職員のSさんが待っていてくれた。まだ入国審査も税関もまだの場所だが,こういう人がいてくれるだけでかなり心強い。シンガポールでの待ち時間に書き込んだ入国カードを提出,Purpose of visitの欄には,businessでもなくemploymentでもないothersにチェックをしていたのだが,オフィシャルパスポートが効いたのか,なにも聞かれることなく通過。税関では,スーツケースになにが入っているか聞かれたが,personal belongingsだというと,特になにも言われずそのまま外に出てしまった。新品で箱に入ったままの電気製品などは,ここではかなり引っかかるらしい。ロビーに出ると僕と同じ大学から派遣されているS先生,プロジェクト調整員のHさんも待っていてくれた。日本から来ると必ずこの時間の便になるということだが,今日は,更に遅れが出たので,夜中(というか未明)まで長時間お待たせしました。やがて,Mさん一家もなんとかチェックを終え,合流。しかし,一緒に乗ってきたKさんが全く出てくる気配がない。どうやら何かが引っかかったらしい。現地スタッフのSさんも付いているというので,Kさんとはプロジェクトが違い任地も異なるため,ここで挨拶ぐらいしておきたかったが,僕らは,コロンボのホテルへ向かうことに。僕らの他には誰もいないロビーには真夜中だというのに銀行がオープンしている。多少換金しようかと思ったが,これ以上人を待たせるのも手数をかけるのも面倒なので,すぐ外へ。

 空港からは,約1時間で,コロンボ市内へ。コロンボ市内までは約34kmあるという。ハイウェイのような気の利いたものはないようだが,さすが中心都市だけあって,真夜中なのに,人が時々歩いている。コロンボ市内では,検問が何カ所かあり,道路にバリケードが組まれていて,警備の景観だろうか?土嚢に囲まれた場所から銃を持って目を光らせている。コロンボでの滞在は,ランカ・オベロイ・ホテル(77, Steuart Place (Galle Rd.), Colombo 3 Phone 32-0001)。調整員のHさんは,予め6階の部屋を予約しておいてくれたという話だったのだが,フロントに行ってみると,なんでも2階だという。S先生が粘ってくれたが,結局,うまくいかず,明日以降に部屋を移れることに。頭がボーっとしていたので,もうどうでも良くなりかけていたのだが,部屋に入るとウェルカムフルーツが。さすが五つ星ホテルだ。部屋はダブル。爆弾テロが近くであったときの用心のため念のため窓ガラスに近い側のベッドには寝ないようにとS先生に言われ,ちょっと緊張。

 ベッドに横になろうとしたときにHさんから電話。今,部屋を移れるとのこと。さすが調整員。どんな手を使ったんだろう。どうやら飛行機でも一緒だった南アフリカのクリケット選手達が4階,5階に宿泊しているため,宿泊環境をよく保つためか,宿泊客の部屋に制限を加えていたらしい。とりあえず,日本はもう朝の8時近く,到着を知らせる電話をかけようとしてみるが,どうも説明通りやってみてもうまくつながらない。まぁ,明日また挑戦してみよう。テレビをつけてチャンネルを変えていくとなんとNHKが。でもホテルのガイドに出ているものとチャンネルが違うし,映らないチャンネルもある。これで高級ホテルといってもこの程度なのかもしれない。NHKは,画面よりも5秒ほど音声が遅れてくるのがまどろっこしい。

本日のシンハラ語:(両手をあわせて)アーユーボアン:おはよう,こんにちは,こんばんは,さようなら

7月2日(日):朝8時半起床。今日は基本的にはお休み。移動中,ずっと食い続けだったので,きちんと朝食を食べる気がしない。ウェルカムフルーツについてきたバナナを1本。日本に電話。やっとつながる。お昼はS先生に隣のショッピングモールCrescat Boulevard Shopping Centre(Hotel Lanka Overoi, Galle Rd., Colombo 3)を案内していただいた上に,まだこちらの現地通貨ルピーを持っていなかったため,ちょっとおしゃれな"デリ・フランス"というコーヒーショップで,サンドイッチをごちそうになってしまった。なかなか美味。こちらでもテニスができると聞き,さっそく運動靴を購入。サイズがちょっと小さかったけど,少しは伸びるだろう。1100ルピー。1ルピーは,約1.6円。まぁこのくらいの値段なら,外れでもあきらめもつくか。ショッピングセンターを出ると滝のようにたたきつけるものすごい雨が。ホテルまでは屋根のある通路があるのだが,それでもけっこう濡れてしまった。

 吹き抜けの天井から星占いをモチーフにしたという巨大なバティックをつり下げているホテル内をあちこち散策していると,調整員のHさんに出会う。どうやら暇をもてあましているのではないかと,僕を捜していてくれたようだ。早速,コロンボの町に出てみることに。車で南へ。だが,道は車で渋滞。クラクションで威嚇し,ドライバー同士でガンを飛ばす。とても道を譲り合うなんて雰囲気じゃない。行く先は,コロンボ市内を一望できるマウント・ラビニア・ホテル(102, Hotel Rd., Mount Lavinia Phone 71-5221 lavinia@sri.lanka.net)。ここはスリランカ最古のリゾート地と呼ばれる場所で,1805年に建てられたという建物は元セイロンの提督の別荘。華やかなりしコロニアル時代の英国の影響を強く受けた白亜のホテルだ。ここまでは,たった2,30分の道のりなのに,雑然としたコロンボ市内とは,流れる時間のスピードまで変わってしまったようだ。今は,時期的に雨期に入っていることとさっきのすごい雨で,海が荒れていたのが残念だが,遠くにインド洋に突き出したように見えるコロンボのフォート地域の高層ビルが,ついさっきまでの喧噪を思い起こさせるのみ。

 その後,場所を移し,パラダイスロードギャラリー(2, Alfred house Road, Off Alfred House Gardens, Colombo 03 Phone:582162)に。ここは,東京の最先端のお店でも,こうは空間のプロデュースができないだろうと思えるほど見事な癒し系の造り。入り口はちょっと薄暗く隠れ家的なしゃれた雰囲気のある店構えで,中へ一歩踏み入れると,水路のような小型の池があったり,竹が涼しげに中庭に植えられていたりと,要チェックなオリエンタル風のレストランだ。洋服と骨董品を扱うギャラリー(どっちが主だ?)も併設されている。次々と連れて行かれる場所が,あまりに僕の今まで持っていたスリランカのイメージとかけ離れているので,スリランカに来たという実感がなかなかわかない。Hさんは,たぶんカルチャーショックをなるべく和らげてくれようとしているのだと思う。ありがたい。

 夕方は,スリランカに一緒に来た僕と同じプロジェクトのMさんご家族と市内をドライブ。道ばたでは,真っ赤に色づいたランブータンを山積みにして売っている。柔らかい棘が突き出た外側の果皮を割るようにして剥くと中からは白い実が。味は割と淡泊。種が大きいので,意外と食べられる部分は少ない。日曜日はあいにく閉まっている商店が多いため,いろいろとショッピングすることはできなかったが,だいぶコロンボのの様子が分かってきた。しっかし交通マナーは悪いなぁ。僕らの車を運転してくれる現地のドライバーは,天才的な腕を持っているように思う。

 夕食まで時間があるので,Mさんたちと,昭和天皇も泊まったという1864年に建てられたというアンティークなゴールフェイスホテル(Galle Face Green, Colombo 2 Phone: 54-1010)へ。ここのテラスでインド洋の夕焼けを眺めながら,カールスバーグを一杯。頬をなでる海風と波の音が心地よい。

 夕食は,韓国料理の”Seoul Garden(ソウルガーデン;;107 Havelock Road Colombo 5 Phone 50-1597)”(どっかで聞いたような名前だな)で焼肉。最初にキムチ類の小皿がずらっと並べられるところなど,ワシントンDCのウーレイウォクで出されるものと似ていたようだ。でもカルビが無いなんて!でも,またもや腹一杯に。ホテルに戻ったのは覚えているのだが,どうやら気がつかないうちに,寝込んでしまったようだ。

本日のシンハラ語:オウ:はい,そうです。

7月3日(月):やはり朝5時頃,目が覚めてしまう。日本時間だともう8時くらいだ。しばらくは仕方ないだろう。今日は各所へ専門家のMさん,プロジェクト調整員のHさんと一緒に表敬訪問の日。今日はさすがにスーツにネクタイだ。朝9時半にJICA事務所へ。二階建てのかなり立派な建物。天井も高く部屋数も多く,オフィスとして使うのにはかなりよい環境に思える。すぐ隣は,日本大使館だし,便利な場所にあると思ったら,実は,これはJICAの所有ではなくレンタルしているのだそうだ。

 まず,ここで派遣関係の事務手続き。話に聞いていた緊急連絡用のポケベルを持たされ,在留届を書いた。ビザの延長や手続きのためと,写真を8枚提出。短期派遣の場合は,やや手続きが簡単。長期派遣の専門家は,運転免許証の翻訳,取得手続き,銀行口座の手続きなどありいろいろ初日から大変そうだ。K事務所長さんからスリランカの概要や僕らのプロジェクトへの期待などについてお話を聞く。

 続いて大蔵省のExternal Resourses Departmentの局長(director)Jさんのオフィスへ。僕がこれから参加するJICAのプロジェクトは,スリランカ国内でもかなり期待されている優良プロジェクトだとのこと。まぁ,お金と技術をもらう側だから,そう言ってくれているのかもしれないけど。大蔵省は1997年10月向かいのガラダリホテル爆破事件でかなりの被害を受けた場所と聞き,ちょっとびびるが,見た目にはほとんど修復されていたように思う。玄関に銃を持った警備兵がいるのはやっぱり日本と違って,緊張させられるところ。

 自分のホテルまで戻り,併設されているATMで日本のシティバンクの口座から,現地通貨で5000ルピーほど引き出した。米ドルと同じように現地通貨で引き出せる。何の問題もなくうまくいった。日本円にすると8000円ほど。レートと手数料が気にならないわけではないが,やはり便利だ。昼食をオベロイの隣のショッピングセンター地下のフードコートで中華。このショッピングセンターは,3階建ての駐車場付きで,1997年にできたばかりとのこと。午後1時半に保健省(Ministry of Health & Indigenous Medicine)へ。ここでは次官のRさんと20分ほど会談。彼はちょっと声が小さくて聞き取りにくかったが,穏和な感じ。僕の担当するCrown(金属製の歯のかぶせもの)の対象年齢は?などと突拍子もないことを聞かれて,ちょっと戸惑う。それほど,まだ一般的ではないものだということはわかったのだが...

 その後,保健省の隣にあるBiomedical Engineering Service(BES)という日本からの無償供与で設立した医用機材のメンテナンスサービスセンターをMさんにつれられて見学。スリランカのような小さな国では,医用機械の修理などのメンテナンスを,日本のように国内にある会社や病院の出入りの業者に送って(または来てもらって)修理してもらうということが難しいため,ここが一手に引き受けているとのこと。大学や病院での新規機器購入の際にも,この組織でメンテナンス可能かどうかをチェックしてから,導入が決まるというシステムができているのだそうだ。ただやはりすべての機器の修理をここだけで対応するのは,かなり厳しい状況になってきているので,各県にBESの下部組織を作って,基本的なメンテナンスだけはそちらの方で行えるようにしていきたいとのこと。ただしこれから僕が行く歯学部病院には,すでにメンテナンス部の作業場(Workshop)があり,小さいながらも機能しているのだが,人員の少ない(二名)ことがやはり問題とのこと。Mさんは,以前BESの立ち上げに関わった人で,どの部門に行っても,教え子ともいえるスタッフ達が,とても懐かしげに出迎えてくれる。

 ほんの少し時間があいたので,洋服屋ODEL(オデール:5 Alexandra Place Lipton Circus Colombo 7 Phone 68-2863)へ。ここはオリジナル商品の他にブランド品のB級品なども扱っている。スリランカは繊維工業が主産業でもあるので,大手メーカーの下請けをして余った製品などをこういった店に流しているのだそうだ。たしかに安いし,この店オリジナルの商品でもデザインがポップで,Tシャツなどは,おみやげにもよさそう。さすがにいろいろと買い物をするほどの時間はなかったので,今回は見るだけ。是非また来てみたい店だ。

 次は,教育省の下部組織University Grants Commissionの副委員長のJ先生にご挨拶。彼は,現在の大統領担当歯科医師でもある。男性の事務員?がうやうやしく持ってきてくれたおいしいミルクティーを頂きながら,しばらく歓談。でもなんで,ティーカップの下にコースターを置くんだろう?歯科医師と技工士の連携が重要であるという認識を確認。でもまだまだなんだろうな。この先生はキャンディにも時々来るらしい。ちょうどペラデニア大学の歯学部長もこの施設を訪ねてきているということだったが,両先生ともそのうちまた会うことになるだろう。一緒に来ていたMさんには,小さい国だけに,自分の教育,提案した結果が実現していくのを実感することができるので,おもしろいよといわれた。確かにそうかもしれない。日本にいたら,組織の中でごくごく小さな歯車的生活をしているだけだし,もちろん日本の省庁の建物に入ることすら皆無。でもまだ実際に自分の目でこれから派遣される大学を見てもいないのに,2ヶ月間でどこまでできるか,やはり不安は残る。

 最後に,4時から日本大使館を訪問。さすがに警備は厳重。玄関のドアも2重にプロテクトされている。ここでは2等書記官のKさんにお会いする。プロジェクトについての話や最新版のスリランカ情勢などが説明された。とりあえず,今日の公務はこれでおしまい。1985年に国会がコロンボから東へ約10km離れたスリ・ジャヤワルダナプラ・コッテに移ってからは,こちらが首都ということなのだが,これだけ行政機関がまだコロンボにあるということから考えてみると,スリランカの首都としての機能は未だにコロンボに置かれているとしか思えないし,まだ首都を「コロンボ」と言ってもあながち間違いではなさそうだ。クイズの問題になりそうなくらい長い名前の首都名より,コロンボの方が覚えやすい。そうそう,こっちの人はコロンボを「カランブゥ」と発音している。

 さて,役目を終えた後,Mさんの長期滞在型のホテル(JAIC Hilton Tower 200,Union Place, Colombo 2 Phone 075-34-4644)にお邪魔して,30階からのコロンボ市内の眺めを堪能させていただく。ほかに高いビルがほとんど無いため,絶景。下の川でボートを練習しているのも見えた。スリランカで?と思ったが,これもイギリス統治の影響かもしれない。自分のホテルに再び戻り,堅苦しいスーツを着替えて,ヒルトンホテル(Echelon Square, Colombo 1(Fort) Phone:54-4644, 34-4644)にある「銀座芳せん(The Colombo Hilton, Echelon Square, Colombo 1(Fort) Phone 54-4644)」という和食の店へ。Mさんご家族とほかのプロジェクトで活躍されているKさんご夫妻,Hさん,僕とで,おでん,お茶漬け,おろし豚カツ,揚げ出し豆腐等をつつきながら,大騒ぎ。これからキャンディに行くと,こういったものはほとんど食べられなくなるというので心して味わう。このお店はどれも意外と薄味なので,日本人,それも関西人向けと銘打ったとしても大丈夫だろう。お腹を抱えて笑いながら,おいしいものに舌鼓を打ち,大満足でホテルに戻った。コロンボにはAOLのローミング用のアクセスポイントがある。ここにモデムでホテルの部屋からつないだら,問題なく接続。帰国するまでに,どのくらいローミング料金が加算されるか,ちょっと心配だ。インターネットにつなげているうちに,意識をまた失った。ちょっと飲み過ぎ?

本日のシンハラ語:エヘマイ:僧侶に向かって(のみ)「仰るとおりでございます」

7月4日(火):3泊目とは言っても,一日目がほとんど無かったようなものなので,まだほんの少ししかいない割に,かなりいろいろなことを体験したような気がする。今日のスリランカの英字新聞「Daily News」のトップ記事は,パキスタンがスリランカのテロに対する軍事援助を続ける,インドも危機に対する重要な役割を買って出ている,ジャフナが平静を取り戻したなどなど,いずれも内戦がらみのニュースばかりだ。12時チェックアウト。飲んでもいないコーラを請求されたので,もちろん拒否。五つ星のホテルとしてはちょっと問題かもしれないけど,ま,たまにあることだ。一泊60USドルというのは,こちらの平均的な人の一ヶ月分の給料だとのこと。これに10%のサービス料と消費税が12.5%も付く。

 昼食は,またMさんご家族と和食の「日本ばし(11 Galle Face Terrace, Colombo 3 Phone 072-72-484)」へ。かき揚げ丼(350ルピー)を注文。かき揚げに中濃ソースのような濃いめのタレがかかっているのだが,意外にいける。Mさんご家族には,8歳の男の子と4歳の女の子がいるので,ついつい僕の4歳になる娘を重ねて見てしまう。家族を連れてくればよかったかな。でも,ホームシックになるには早すぎるぞ。

 さて,今日はいよいよ任地ペラデニア・キャンディに向かう日だ。コロンボからは約3時間,プロジェクト調整員のHさんとともにJICAプロジェクト専用車パジェロで山坂道を越えて行く。コロンボ市内の大渋滞を抜けるのに,ずいぶん時間がかかってしまった。道路には中央分離帯があればまだいい方で,ほとんどの場合,車線を分ける白線も付いていないので,片側2車線を3車線くらいの感覚で車が無理矢理走行するため,渋滞は避けられないし,実際に車の数もかなりのものだ。クラクションとパッシングは威嚇のための道具のようだ。割り込む車を拳一つくらいの隙間ですり抜け,危機一髪と息を呑むこともしばしば。でもJICAのプロジェクトで雇っている僕らのドライバーMさんは,元,教習所の教官だったとのこと。追い抜きにも絶妙なドライビングテクニックが光る。

 途中いくつもの町や村を通過するのだが,もともと左側通行な上,道幅や舗装の加減がちょっと前の日本の相模湖あたりの山道とそう変わらないので,景色をぼーっと見ている分には,あまり違和感は感じない。悪路を3時間すぎた頃やっと目的地に。コロンボを出たのが午後3時頃だったので,あたりはほとんど真っ暗に。僕がこれから働くペラデニア大学の前を抜けて,キャンディのHill Top Hotelに到着。B先生がフロントで僕らを迎えてくれた。B先生は,僕と同じ大学からの派遣で,5月の半ばからすでにこちらで働いている短期の専門家。Hill Topは,コロンボのオベロイホテルとは,だいぶ格が落ちるようだが,シンプルで必要最小限の家具を備えた部屋は,決して悪くない。さすが山奥まで来たとも言うべきか,部屋の窓には,猫や犬,猿が入ってくるので,開けっ放しにするなとの但し書きが。部屋の天井には,大きな羽のファンが備え付けられているし,冷房もあるので,締め切っていても暑苦しくなることはないだろう。

 ホテルの部屋には,バスタブ,テレビ,電話用のコンセントが無い。ホテルからのインターネットはしばらくお預けか。洗面所の床のタイルには,洒落たことに,床暖房が入っていて,こんなちょっとした心遣いが多少でもあることがうれしい。いや,もしかしたら,お湯の配管がたまたま床下を通っているだけなのかもしれないけど。部屋には,こっち製のベープが置いてあった。日本からわざわざ蚊取り線香やら電気蚊取り器を持参したのに。もちろんこのベープの電源は230ボルトに直接つなげられる。ちょっとがっかり。部屋のコンセントは,B3とBFと二種類ある。同じ部屋なんだから,これくらい統一したら?洗面所の便座の横には,小型のシャワーが。これが本当のシャワートイレ?ちゃんとトイレットペーパーも,付いている。

 キャンディは,コロンボに比べるとはるかに緑が濃く,距離で約130km,高度が500メートル位高くなっているため,山からの風も心地よい。ま,田舎だってことだな。このホテルは,JICAの割引を使うと,朝食付きで一泊1500ルピー。でも,戦時体制のためか,ここのところ少し値段が上がってきているとのB先生の説明。B先生の滞在中にも一度値上がりしているとのこと。Mさんご家族,B先生と一緒に夕食をホテル唯一のレストランで食べ,部屋に戻った。長い一日だった。

本日のシンハラ語:ネー(「ナ」と「ネ」の中間音):いいえ

7月5日(水):午前6時半起床。4時半に目が覚めてしまったが,がんばってもう一眠りしてみた。寝過ごすことなく,ホテルの朝食をとり,JICA専用車でいよいよペラデニア大学歯学部へ向かう。  毎週水曜日はプロジェクトの定例ミーティング。これに参加中の午前10時頃,コロンボ近郊のGangodawilaにある裁判所で爆弾事件発生とポケベルに連絡が。現場では少なくても8人が負傷、うち3人が重傷を負ったという。法廷では当時審理が行われており,混乱に乗じて,出廷中の囚人数人が逃走したとのこと。緊張の瞬間。すかさずプロジェクト人員の安否確認が行われた。プロジェクトのオフィスには,電話線が切れてしまったときのために,無線機と無停電電源も用意されている。コロンボのJICAオフィスと連絡も取れ,落ち着いたところで,僕にも専門家用の携帯電話が手渡された。

 その後,鶴見大学から派遣されているH先生に学内を案内していただく。昼食は,大学の隣にあるPeradeniya rest houseという公共の宿泊施設でスリランカカレー。辛さはマイルドでなかなかおいしいと思う。約330ルピー。M歯学部長と会見。自分の担当する保存修復科のA先生,W先生と,今後の予定について相談。自分に行って欲しい講義の内容などについて検討した。英語に訛りがあるので,やや聞きづらいが,自分に望まれていることはだいたい理解できた。2ヶ月間かなり忙しくなりそうだ。夕食はH先生,B先生と一緒にホテルのバッフェ。

本日のシンハラ語:モカクダ?:何ですか?

7月6日(木):寝坊!ぎりぎり,迎えの車に間に合った。ホテルから大学までは約15分ほどの道のり。8時には大学に着くように車が来る。毎朝8時半になるとポケベルにテレビ番組表が届く。これは番組表を送るサービスではなくて,ポケベルがきちんと機能しているかをチェックするためとのこと。昨日渡された携帯電話は,以前別の専門家が使っていたもので,専門家が帰国すると次の専門家に渡される。この携帯を使うと日本からかけるより安く国際電話がかけられるのだが,以前その専門家が使っていたパスワードがどうしても見つからないため,調査をすることに。午前中は,保存修復科の見学。12歳から3年間日本にいたという日本語の上手な歯学部学生R君や,以前JICAの専門家のカウンターパートだった時に日本語に触発されて,スリランカにある日本語学校に半年間習いに行っていたというRさんなど,初めて会った人でも,僕の名前を呼んでくれるのはうれしいが,それだけに期待が大きいかと思うと,ちょっとがんばらないと。

 昼食は,学生食堂(Canteen)で,飲み物も入れて45ルピーのランチパケット。当然中身は,カレー。ご飯とチキンカレーがビニール袋の中にひとかたまりで入っている。日本の弁当のように割り箸を着けたりしないので,手づかみ,ではなくて,フォーク持参で,ぱくつく。辛い!!が,うまい。僕はなにを食べても大丈夫そうだと,B先生とS先生にお墨付きをいただく。まぁ,言ってみれば,ファストフードみたいなものだもんな。スリランカの人たちは辛いのをさますために,甘い飲み物をよく飲むのだという。その結果,彼らの虫歯も増えるのかも。

 口腔外科の専門家としてきているH先生に聞いた話なのだが,おもしろいことに,スリランカ人の血中タンパク質(アルブミン量)は,日本人がこの値だったら生きていけないほど低く,そのために手術ができないこともあるとのこと。その原因としてあげられるのは,やはりこちらの食生活。ミルクや肉を食べない,食べられない,大量に使われるココナッツオイルという習慣。これが,これからの患者に対する術前・術後管理の大きな課題になるのではというお話。

 午後は,歯科技工士のRさんと一緒にいろいろなケースを見せてもらいながら,問題を洗い出す。一番大きな問題は,保存修復科で出される技工物を彼一人がすべて担当している点。この問題は,かなり明白かつ問題点も明らかなので,近いうちに解消される気配もあるため,彼にはあまり心配しすぎないように伝えた。問題は,技工物のクオリティコントロールに歯科医師側の意識が低いこと。これは日本以上に問題が大きい。カースト制度から始まる職域差別といってもよいほどの区別が,歯科技工士から自由に歯科医師に注文する権利を奪っている可能性もあるようだ。もちろん現在ではカースト制度そのものはなくなっているが,結婚などの際には,現在でもやはり問題となることが多いとのこと。

 夕方は,僕らの歓迎会。キャンディのFlower Songという中華料理店で。リーダー,調整員,JICA専門家とその家族など15人でけっこうたらふく食べて,大人一人約500ルピーほど。美味しかったし満足満足。しかし,そろそろカロリーオーバーを解消するすべを見つけねば。

本日のシンハラ語:ストゥティ:ありがとう,ボホーマ・ストゥティ:どうもありがとう

7月7日(金)七夕:ペラデニア大学の歯学部病院には,朝から文字通り,門前市をなすほど,患者さんが来ている。スリランカ唯一の歯科病院,しかも公立病院は基本的に無料なので,スリランカの国中から患者さんが集まるのだそうだ。遠くから来る患者さんも多いため,午前中に患者が集中してしまうのだそうだ。午前中は,外来の見学。日本と比べてかなり感染対策に関する意識が低いように思える。昼はまた学食のランチパケット。今日は野菜カレー。飲み物も付けて30ルピー。日本の約1/10で飯が食えるというのはかなりのカルチャーショック。ただし,ちょっと時間が遅くなるとおかずの内容が貧弱になるらしく,魚のフライとコロッケが量を増やすためにか,今日は頼まないでも入っていた。

 今日で学生達はひとまず終了。2週間の夏休みに入る。スリランカでは,入学は1月とのことで,中休みといったところだろうか。2年ほど前から戦時体制に入ったため,詳しい理由はわからないが,一部の大学が閉鎖され,入学が決まった学生や在学生達が自宅待機させられた時期がある。しかし新入生の入学は受け入れてしまったため,現在の1年生,2年生の学年には一学年に2年分の学生がいるという事態になった。教室のキャパシティは,75名で設計されているため,やはり,まだ学生を収容しきれず,1学期終わったところで,自宅待機を余儀なくされているとのこと。

 昼,自宅から電話で,例の出発時の荷物超過料金を自宅に請求してよいかという問い合わせがJTBからあったと,かみさんがあわてて携帯に電話してきた。僕がスリランカに赴任しているのを知っていて,事情の分からないかみさんに連絡してくるのは,JTBもずいぶんと卑怯な手を使ってくるもんだ。これで10万円払わなくちゃいけないようなことになったら,もう日本に帰っちゃうぞ。かなりブルーな気持ちになったが,調整員のHさんと相談したところ,すぐにJICAの事務所に連絡,手を打ってくれて,全てJTB側のミスということで,JTBが謝りを入れることで解決。(後日談。結局JTBは,シンガポール航空側のミスということで,かみさんに説明し,謝罪はなかったとのこと。いい加減なもんだ。)

 午後は,みんな2時頃まで完全に昼休み。日本に比べるとずいぶんのんびりしている。治療室も電気を消されて誰もいなくなってしまう。午後は,また技工室で,歯科医師が出した模型のチェック。だいぶ問題点が見えてきたような気がする。

 仕事が終わり大学を離れ,B先生とH先生にキャンディのダウンタウンに連れて行ってもらう。DSIという全国チェーンの靴屋でサンダルを購入。靴屋は,こことBATAというチェーン店が有名なようだ。400ルピー。そのあとカーギルス(Cargills08-222101,226160)というスーパーで,ちょっとしたつまみと日本から持ってくるのを忘れたヘアブラシの変わりに櫛を購入。櫛はなんと2ルピー。その後「都(みやこ)」で,和食のつまみを注文しながら,「今週もご苦労様」飲み会。こっちで出てくるビールは,冷えがいまいちなことが多い。スリランカ産のビールもいくつかあって,きちんと冷えていれば,日本のビール以上にうまいんだけどな。また椰子の芽の樹液を発酵させアラブの製法で蒸留したアラックという蒸留酒もポピュラーで,ソーダ割りにして飲むとけっこういける。ただし,満月の日(ポヤ・デー)だけは,国民が寺院に参拝する日ということで,どこの店やレストランでもアルコールは,御法度になるとのこと。今日は,ちょっと飲み過ぎ,食べ過ぎで,一人1500ルピーほどになってしまった。スリランカでは,かなりの贅沢。週末は,少し節制しよう。

 だいぶ蚊にくわれるようになってきた。結構かゆい。マラリアやデング熱は,現在ここでは発生していないようだが,こっちで蚊に刺されるのは,日本にいるときより,あまり気持ちのよいものではない。

本日のシンハラ語:ホンダイ:良い。

7月8日(土):休日なのに朝5時起床。目が覚めてしまっただけだが,時差が少ないだけに,まだ時差ボケが続いているのだろうか。朝食の時,まわりで聞こえるのはドイツ語ばかり。そういえば,コロンボではドイツ語の説明書きをあまり見かけなかったが,このホテルでは,英・独・仏語が併記されている。

 8時にMさんと一緒にEarls Regencyというホテルへ。ここでHさんとも合流してテニス。このホテルは,5年前に営業を開始,まだ一部分建設中。僕が宿泊しているHill Topとは比べものにならないくらいゴージャス。車を付けるとマネージャーが近づいてきて,なぜか握手。のんびりしたものだが,テニスコートも2週間前にできあがったばかりとのこと。キャンディで唯一のハードコート。まだフェンスもきちんと取り付けられていないことやコートの外側の部分の広さが足りないことなど,いろいろ気になることはあるが,一番驚いたのは,テニスをするときに,ボールボーイが付くこと。しかも2人も。きちんと訓練されたボールボーイではないので,時々自分でボールを取りに行かないといけないが,なんだかくすぐったい。これはスリランカでテニスをするときは,普通のことなのだそうだ。2時間3名で,600ルピー。実は,これはコロンボで一番コンディションのよいと言われるヒルトンホテルのコートよりも高いのだそうだ。久しぶりのテニスで体を動かせたので,多少カロリーを消費したかな。中心性網膜炎の影響も最近はほとんど感じなくなってきている。ありがたい。

 このホテル,日本人もオーナーだそうで,各種サーティフィケイトを持っている日本人のエステティシャンのMさんもいて,マッサージやエステの設備を案内してくれた。フィットネスジムやプールなども当然そろっていて,客室は100室あまり。ホテルから眺められるキャンディ周辺の山並みも素晴らしく,なんだかこういうところがあることを知ってしまうと,今のホテルを移りたくなってしまうなぁ。最後の1週間くらいは,ここに住んでみようか?  テニスを2時間ほどして,Hさんのお宅へお邪魔。うっそうと茂る熱帯植物の森の中に建てられた家には,バナナやパパイヤの木も。日本ではちょっとできないようなガーデニングが楽しめそうだ。屋根付きの屋上に上がり,ちょっとしたビアパーティ。ここのところ,毎日飲んでるなぁ。まぁ,今日はテニスをしたからいいか。まわりの木々よりちょっと高い位置にある屋上で,森を抜ける風を感じながら眺めるキャンディの山々。これ以上いい条件で,ビールを飲めるところなんてないんじゃないかなぁ。ありがとうございました。ホテルに戻って,昼寝。ま,久しぶりの週末だ。このくらいはいいだろう。

 夕食は,ホテルのレストランでもいいのだが,せっかく日本食の保存食を持ってきたので,少し開封。あ,箸を持ってくるのを忘れた!湯沸かしもないけど,大丈夫かな?結局洗面所のシンクにお湯をためて,上から一番熱いお湯を出し続けて,湯煎。ちょっと指定時間より長めにしたけど,結局お米は,パラパラ,芯が残った出来損ないだ。中華丼の具をかけてごまかしたけど,もう2度と食べる気にはなれない。箸がないので,スリランカの風習に倣い,右手で食べてみるが,やっぱり食べにくいなぁ。今日の夕食は,かなり失敗。

 出国してからの記録(このファイル)を記憶を元に更新。テレビのない生活もたまにはいいかな。ほかのところでも同じなのだそうだが,このホテル,けっこう停電する。どんなに長くても30秒と電気が切れていることはないのだが,デスクトップのコンピュータは無停電電源とつなげていないと心配で使えない。日本から持ってきたコンピュータはノート型なので,停電の影響を受けないのがありがたい。長時間型の充電池も購入して持ってきている。プリンターや外部記憶装置も充電式または電池を外付けできるようなものを準備しておいた方が良さそうだ。

本日のシンハラ語:サパサニーパコホマダ?:お元気ですか?

7月9日(日):久しぶりの朝から決まった仕事がない日だ。遅めの朝食をとって,紅茶を三杯。眼下にキャンディの町を見下ろしながら,ティーカップ片手にゆったりとした時間を楽しむ。夕方まで講義の準備。リーダーのH先生から電話で,散歩をしようとのこと。ちょっと早めにホテルの前で待っていると,猿の群がホテルの屋根の上で遊んでいる。道を横切るしなやかな体を持つ黒茶の小動物もちょっと見たことがないものだ。どうやらこれはマングース。マングースがいるということは,それなりの蛇もいるのだろう。人家がこれだけ近いところにあるので,これらの動物は,たぶんわりと人に慣れているのかもしれないが,ま,キャンディというのは,こういうところなのだろう。

 車で迎えに来てくれたH先生と向かった先は,ペラデニア大学のメインキャンパスのグラウンド。ここでもいくつかの場所に分かれてクリケットをやっている。ルールは,どうもよくわからないのだが,野球のルーツのような感じ。ピッチャーがワンバウンドさせた玉を,バッターがヘラのようなバットでたたく。フライを打って捕られたら,アウトということらしい。日本から連れてきた犬(メルちゃん)の散歩をさせていた口腔外科のH先生とグラウンドで合流。しばらくグラウンドで犬を遊ばせて,ペラデニアレストハウスでお茶を頂く。ハエがうるさかったが,久しぶりに充実した休日になった。その後,ロイヤルガーデンというスーパーに買い出し。昨日の保存食で懲りたので,スプーンかフォークを買おうと思ったら,どこにもない。おかしいなぁと思いながら,はたと気が付いた。この国の人たちは,素手で食事をするんだった。箸だって,もちろん置いてない。仕方ないので,あきらめる。夕食はホテルのレストランでDevilled Chickenを。450ルピー。

本日のシンハラ語:ナマ・モカクダ?:名前は何ですか?

7月10日(月):午前中は,義歯外来の見学。JICAの英語研修がよかったのかアメリカ留学で度胸がついたのか,英語だとかなりいい加減なことを言っているに違いないのだが,お世辞だとわかっていても,みんなが僕の話をわかりやすいと言ってくれるのがありがたい。

 ごく当たり前に使っている材料や機材が,こちらでは高くて使えないというジレンマ。今日一緒にいた優秀なドクターも日本に留学したものの,想像以上に物価が高すぎてすぐ帰らざるを得ない状況になってしまい,泣く泣く離日したという話をしてくれた。これで,このプロジェクトが3年後に終わってしまったら,どうなるんだろう?サステナビリティ(Sustainability)という単語をJICAや国際協力ではよく使うようだが,後は自分たちでやれって言ったってねぇ。僕らの技術は,モノがあることを基本にした手技だと言うことを実感。

 昼は,名刺を作りにキャンディタウンへ。まだ歩き回ったことがないのだが,こちらをじっと見る視線,視線,視線に,まだちょっと気を抜けない雰囲気。昼食は「都」で肉野菜炒め定食。「都」は,今年開業したばかりだというのに,ランチタイムの客は,また僕らだけ。よけいなお世話だけど,これでやっていけるのかなぁ?

 こちらを走っている車を見ていると,日本からの中古車はすぐわかる。新車として販売されてから3年落ちの車までは,中古車として輸入できるのだそうだ。なぜか商業車両などは買ったときのペイントそのまま乗っているので,「○×幼稚園」とか「□△バス」なんていう日本語のロゴそのままを残して乗っているので,ちょっとドキッとさせられる。こういうところで余生を送る車の気持ちってどんなだろう?下手をすると,日本よりもこき使われている可能性は十分あるが。教習所や学校,レンタカー会社のバスやバンが多いような気がするのは,日本での新車と交換するまでの耐用年数が短いから?それだけにすでに日本で使い倒されているような気がするのだが。

 午後は,講座のミーティング。モノが頻繁になくなるので,みんなの意識を高めるために,JICAの専門家も交えて,意見交換。歯科は消耗品も多いが,永続的に使う物品に関しては高価なものが多い。こういう国だから,ものがなくなると再度補給するのもなかなか大変なことだ。

 財布の中の現金が乏しくなってきたので,H先生にお願いして,再度キャンディタウンへ。ANZというオーストラリアとニュージーランド資本の銀行には,シティバンクのようなインターナショナルなカードを使えるATMがあるとのこと。もう3時半近くだったが,行ってみるとまだやっているようだ。車を降りると赤ん坊を連れた乞食がよってきた。単なる道ばたなのに,駐車したがっている車の空きスペースへの案内をしたということで,金をもらおうとする男性も。うーむ。つき合っているとキリがなさそうなので,そのまま振り切りATMのところへ。

 道に面したところにATMが置かれているのだが,一応扉が付いていて,人一人が入れば一杯になってしまうくらいのスペースで作業するようになっている。コロンボのオベロイホテルの隣にあったATMとは違って,人が中に入っているときには,後ろから来た人がドアを開けられないように内開きにしか開かないドアだが,どうも誰がこちらを見ているかわからないと思うといろいろと気持ちが焦る。ここはそんな気持ちを察してくれたかのようにクィック引き出し機能が付いていて,カードを入れて暗証番号を入力すれば,500〜5000ルピーまでのボタンを押すように指示される。自分で欲しい金額を入れたいときには,もう少し面倒になるようだが,約30秒で,現金が手に入った。すかさず財布に札を入れて,ポケットにしっかりとしまい込み,H先生が換金をしている銀行内に逃げ込む。ドル紙幣をまだ持っていたので,ついでにこちらも交換。このレシートは,最後まで持っていないといけないと本に書かれているやつだろう。とりあえず,このペースなら,2週間ほど大丈夫そうだ。

 こちらに来てから朝,夕の二回メールチェックをしている。AOLは,複数のメールアドレスがもてるのが便利だと思って,コロンボからもやりとりをしていたのだが,どうやらこれらのアカウントは同時にアクセスをすることができないことが判明。つまり家族間でのチャットはできない。スリランカくんだりまで来て,ローミング料金を支払いながらチャットをすることもないのだが,一言,オンラインでリアルタイムに言葉を交わすぐらいはできればいいのにと思ったのだが,どうやらそれは無理なようだ。

本日のシンハラ語:マゲーナマHAMACHI!:私の名前は,HAMACHI!です。

  7月11日(火):いつものように朝7時40分に車が迎えに来る。朝8時からこちらのスタッフによる学生向けの講義があるというので,こっちの講義の仕方も知っておこうと,焦って行ってみたところ,学生は集まっているものの,講師は誰も来る気配が無く30分経過。学生も帰りはじめてしまったので,我慢できず,自己紹介がてら,軽い気持ちで雑談風講義。ま,スタッフがいなければ気楽なものだし,なんとかこちらの自信も付けることができたので,一石二鳥かも。学生の態度は,全く日本の学生に爪の垢を煎じて飲ませてやりたいほど,友好的かつ反応が良好で,黒い瞳がすべて僕の方を向いて,興味を持って聞いてくれる。こんなにやり易い講義は初めてだ。プレゼンテーション技法で習ったことも意識して使うことができたようだ。

 昼は,ホテル近くの"Bread shop"まで車で戻ってランチパケット95ルピーを購入。ここは,パンもかなりおいしいのだが,ランチも結構売れているようだ。学食のランチパケットの2,3倍の値段。確かにおいしいが,辛い!午後は,また技工士さんと問題分析とワークショップのための質問票の作成。あっという間に一日が過ぎる。

本日のシンハラ語:ポッダクインナ:ちょっと待って

7月12日(水):こちらの人としゃべっていて,一番カルチャーショックを受けるのは,同意を示すジェスチャーで頭のうなずく方向が違うこと。YESの意味では,首を左右に振るんだ。これが!この違和感ったらない。自分がつたない英語ながら一生懸命わかりやすく伝えたつもりで,「わかる?」と聞いて,首を横に振られると,愕然とする。が,彼らにとっては,「わかった。」という仕草なのだ。首を縦に振るのがYESというのが,国際的に一般的なものだと信じて疑わなかったのだが,こういうお国柄のところもあるんだなぁ。これって,すごく重要な慣習だと思うのに,ガイドブックの目立つところには何も書いてないのは,なぜ? そう,昨日の講義でも,かなり違和感を覚えながらの講義だったのでした。正確には首を横に振るのではなくて,ちょっと回転するような感じが加わるので,僕には真似も難しい。

 昨日までに出す予定だった,英文の手紙と質問票を調整員のHさんに助けてもらいながら,やっとこさ仕上げて,JICA仕様の自分専用のレターヘッドも付けて完成。英語の勉強はまだまだ足りないのを実感。

 夜は,リーダーのH先生のお宅へ。大家さんの奥さんが作ったカレーに舌鼓。いやぁ美味いのなんのって,スリランカで食べた食事の中で,間違いなくNo.1でした。夜が更けるのも忘れて,話に夢中になってしまい,予定時刻よりだいぶ運転手さんを待たせてしまいました。

本日のシンハラ語:「トディ」椰子酒,「ラサイ」美味しい。「モー」たくさん,「バー」できない。

7月13日(木):昨日は少しはしゃぎすぎたせいか,朝がなかなか起きられなかった。うちのホテルは,お客さんがたくさん泊まっているときは,バイキング方式の朝食で,卵だけ料理してくれる人が立っている。少ししかお客がいないときには,注文式で,うやうやしく注文を取りゆっくり朝食が進むのだが,急いでいるときは,バイキング方式の方がありがたい。今日もバイキングだったので,なんとか間に合った。こっちのバナナは,美味い。

 こちらの昼休みは,12時から14時までと,日本人にとってはたっぷりすぎるほど。家までランチを食べに戻っている人も多いようだ。しかも4時には,彼らの仕事が終わってしまうので,午後なんて無いも同然。僕らは5時まで働いているのだが,その分,朝は早くて,8時始まり。

 夜は,ホテルでおきまりのメニュー。今日は小エビのカレー。まぁまぁかな。今日はメキシカン風のバンドが来ていた。何でメキシカン? 彼らは各テーブルにもまわってくるのだが,下手っぴぃの上に,こっちがリクエストした曲をあまり知らなくて,今ひとつ。ま,余興ということで。「今度,曲知らなかったら,チップやらねーぞ!」

本日のシンハラ語:テールナーダ?:わかりましたか?

7月14日(金):こちらに来てから約1週間,メインで行ったのは,いわゆる視察と現状の評価。JICAが行っているプロジェクト方式の技術移転の各論的流れは,まず現状を評価し,足りないものや弱点などの問題点を補強するための講義や研修,教科書づくりなどの活動を派遣期間内に行って,再評価を行い,最終的な将来への提案をして帰国するというもの。現地の人たちの行動がどう変わったかについては,短期間ではなかなか見ることは難しい。僕の場合は,2ヶ月という短期なので,かなり焦点を絞った活動を行う必要がある。幸いなことに前任者が1年と2年の専門家だったので,彼らが帰国した後,直接技術移転を行った相手(カウンターパート(C/P)という)とその所属部局,ひいては大学全体が,専門家の最終提案書をどういう具合に受け取り,どのように変化したかを,僕の目から見て評価することができる。今日は,そのrapid assessmentをまとめて,大学内にあるJICAオフィスに提出。まだまだやることは,講義や実習など山ほど残っているけど,一つ目の山を越えられたようで,ちょっとほっとする。

本日のシンハラ語:テールナー:わかりました。

7月15日(土):キャンディで2回目の週末。朝はHさん夫婦とMさんそして僕とで,またEarls Reagencyでテニス。前回から1週間たったが,まだあまりフェンスの工事は進んでいないようだ。のんびりしている。そのためまた時々ボールがフェンスを越えて,谷底へ。テニスボールは,こちらでも日本と同じくらいの値段はしているとのこと。結構貴重品。今日は先週よりも天気も良く,ちょっとの時間で,かなり日に焼けてしまった。紫外線の量は,日本とは比べものにならないかもしれない。なんでもEarls Reagencyは,今日から経営が変わったとかで,僕のいるHillTopと同じ会社の経営に。だいぶ格が違うけど。テニスの後は,日本から持ってきた文庫本(宮部みゆき「鳩笛草」363ページ)を1冊読破。

 夕方はMさんの家族とHさんの家族と合流して,「都」で。今週は何回行ったかな? 一部のJICA専門家の間では,せっかくのキャンディ唯一の和食レストランがつぶれてしまっては困るため,どんどんお金を注入してあげようと言う人まで出ているほど。

本日のシンハラ語:サマーワンナ:ごめんなさい

7月16日(日):プロジェクトリーダーのH先生,九州からペラデニヤ大学に交換留学生としてきているMさん,H先生と僕とでヌワラ・エリヤ(Nuwara Eliya)へ。僕にとっては初めての観光と呼べる遠出。ヌワラ・エリヤは,キャンディと同じように高原地帯に属するのだが,標高は1889mと更に高く,平均気温でも5〜10℃低い。寒さに弱い人は,長袖も準備した方がよい場所だとのこと。

 一応舗装はしてあるものの,毎日通勤に使ったらあっという間にサスペンションがイカレてしまいそうなでこぼこの山道をドライブすること,キャンディを出て約2時間,ワインディングロードの変曲点には,小さな滝が時々見られる。意外と水量はあるようだ。更にしばらく行くと緑鮮やかな丘陵地帯が見渡す限り広がってくる。お茶畑だ。切り立った岩肌を除き,思ったよりも急な斜面に所狭しと,しかし,きちんと管理の目が行き届いていることは明らかで,お茶の木の高さや配置は驚くほどきちんとコントロールされている。ここでは,今でもイギリス植民地時代と同じように国外向けの最高級品種を中心とした栽培・加工が行われており,世界第2位の生産量を誇るセイロンティーで有名な紅茶が,一年を通じて生産されている。

 この丘陵地帯そのものは今ではスリランカの国有地だが,企業活動はいくつかのエステートと呼ばれる会社が管理しており,そのうちでも最も躍進しているといわれるH先生お気に入りのLabookellieエステートで,一休み。敷地内には即売所も兼ねたレストハウスがある。今日は天気も良く,お茶畑を一望できるテラスよりの席で,新茶をストレートで頂く。もちろん,ここご自慢のチョコレートケーキも軽く頂くことに(って,みんな3個食べてたけど)。この会社の直営工場の見学もさせてもらったが,紅茶の葉として出荷するまでの乾燥,発酵,茶葉の選定などの行程にかかる時間は約3日。意外と少ない時間で生産されているのに驚いた。おみやげにはプレーンティーに最適なOP,ミルクティによく合うBOPFのグレードを全部で約2.5kgほど買い求めた。それでも日本円で約1600円ほど。ちなみにティーバッグ用として出荷されるのは,dustというグレード。ティーバッグは日本でも,やっぱりまともなグレードではなかったようだ。

 紅茶とお菓子と見晴らしの良い景色でゆったりとした気分になれたところで,最終目的地のヌワラ・エリアに向かう。キャンデイからは,およそ77km南下したところにある。ここは,お茶畑の間を縫うように造られた紅茶プランテーションロードを抜けて到達するイギリス人の避暑地だ。一番にぎやかな場所はわずか70mほど。果物や野菜,電化製品などあらゆる種類の小さなお店が立ち並ぶと同時に,店頭には露天商も所狭しと通路を占領し,威勢の良いかけ声で客を引き留める。ショッピングアーケードを抜けてすぐ左にそれはあった。ビンロージュだ。いつかまた機会があったら試してみてもいいかな。一回くらいなら癌にもならないだろう。

 再び,旧軽井沢かと見間違えるようにきちんと整備されたゴルフコースやテニスコートを抜けて,たどり着いたのは,会員制のHill Clubというホテル。40弱の部屋を備え,ビジターも食事をとることができ,ちょっとした会合を開くこともできる。ただし,スリランカの地元民には制限があるようだ。ここでは,チキンのランチを頂いた。イギリスの息がかかっているかと思うと,普通味気ない料理を思い浮かべてしまうのだが,ここは全く違った。適度に脂ののった身離れの良く柔らかい肉質のローストチキンが,マッシュルームたっぷりのデミグラスソースと一緒に出てきた。味もくどくなく,あっさりと平らげてしまった。そうそう,今日は満月の日で,スリランカの人々がお寺にお参りに行くポヤデー。この日ばかりは,酒屋もホテルもレストランもお酒を出さない習わし。のはずだったのだが,まぁここだけはイギリス。スリランカ産のビールも美味しく飲ませていただいた。

 キャンディへ戻る道は来た道と同じ。またお茶畑の間をジグザグとゆっくり降りていく。所々に野菜を売る露天商が店を構えている。日本で言う,高原野菜?だろうか。中には子供に店番(店という体裁もないが)をさせてほんのちょっとの野菜を売らせているところもあるのは,たぶん情に訴える作戦だろう。さらに高度が下がってくると,こちらの気を引くように手を振る花を持つ少年が現れる。これを無視して先に進むとまた同じ花売りの少年,さらに下ると,また同じ少年が。車は勾配を緩くするため,うねる道を進まざるを得ないが,少年は山の斜面をショートカットできる。しかもここだけは斜面に階段までできている。これがからくり。でも花束一つ売るのにも結構頑張ってるじゃん。花の活きは悪くて,商品価値はないに等しいのだが,ショーだと思えば,お金を渡してくれる人もいるのだろう。これもまたちょっと切ない気持ちになる。

 夜は,またH先生のお宅にお邪魔して,夕食を頂きながらゆったりと,残された休日を楽しませていただいた。今日もまた美味しいジャックフルーツの種入りご飯とカレーと昔話で盛り上がった。気が付くと夜も更けてきたのでお暇乞いをして,ホテルに戻るとまだ出すつもりの無かった洗濯物袋が消えている。まだチェックシートも書いていなかったので,これは何かトラブるといけないと思い,フロントへ。やはり,誰のかわからない洗濯物があるという。袋にも部屋番号が書いてなかったので,当たり前だ。しかも中身が少し足りないようだ。フロントもボーイが間違えたというのがわかったようだ。どこからか足りなかったソックスも出てきた。総額380ルピーだというが,一応権利だけは主張するつもりで,ホテル側のミスなんだろ?と聞くと,ボーイのミスだという。しかも380ルピー払うか?と聞いてきたので,ちょっと頭に来て,今回は僕の意志で洗濯してもらったんじゃないぞと言うと,じゃぁボーイに払わせるという。げ,380って,ボーイに取っちゃ,下手すると1日分の給料じゃないか?と思ったら,こっちの負けなんだが,かわいそうなので,半分の190で,手を打った。今度から,ちゃんとシート確認してから,もっていけよ。でも,後味悪いなぁ。

本日のシンハラ語:ラッサナイ:きれい。美しい。

7月17日(月):午前・午後とも書類作成と技工士さんの指導。ペラデニア植物園でランチ。コマーシャルでも有名な「この木何の木,気になる木」の木と同じ種類のJAVA Willowという種類の巨木があった。木陰も巨大で,迷路のように張り巡らされた枝は,かなり迫力のある景観だ。すぐ横に立っているレストランのランチの味もまずまず。昼間っからスリランカ人のカップルがそこここに。結構平和な国じゃないかぁ。今日は,JICAの専門家の証拠にもなるIDカードが,やっとこさ手に入った。これでやっと「あんた誰?」って顔されなくて済むかな?

 ホテルでは,過去2週間分の支払いを済ました。あと6週間かぁ。夜は,B先生とホテルの夕食。セットメニューは,ちょっと重すぎるので,アラカルトメニューから,クラブサンドを。けっこう美味い。CHIPとメニューに書いてあっても,出てくるのは,フライドポテト。ファストフードのハンバーガーショップで出るようなフレンチフライドポテトを英国ではchipsといい,ポテトチップは,Crispと言うらしい。時々,英国式とアメリカ式の英語の差に戸惑うことがある。

本日のシンハラ語:マハンスィ:疲れた

7月18日(火):明日のワークショップのために,今日中に作り上げないといけない資料があったので,午前4時起きで仕事。なんとか間に合った。日本から送った荷物の半分が届いたということで,確認のために明日のワークショップが終わった午後,コロンボ業務出張が決定。プリントアウトも無事終了。さすがに午後は眠かった。夕食は,またホテルで。

本日のシンハラ語:ウシュナイ:暑い

7月19日(水):朝10時よりワークショップ開催。が,10時になっても誰も来ない。いわゆるスリランカン・タイムなんだそうな。10分すぎた頃に,担当科ヘッドのA先生が来て,今日使う道具はこれでよいかと訊いてきた。この数を見てやっと気が付いたのだが,日本の学生実習だったら,一人一セットの道具を持って,実習に参加できるのが普通なのだが,どうやらこちらでは,器具を2.3人で共同で使うつもりらしい。まぁ,今日は少人数だし,いいか。

 「そろそろはじめましょうか?」というヘッドのドクターが声をかけたのは,10時20分頃。でも,まだ数が揃ってないんですが?でも時間も限られていることだし,始めることに。せっかくJICAの派遣研修でプレゼンの仕方を習ったので,とりあえず,最初の挨拶くらいは,同じようにやってみた。今回は手を動かして,デモンストレーションをするのがメインなので,レクチャーそのものよりは楽だという先入観もあってか,なんとか練習したとおりにいったようだ。日本で実習というと,実習する本人が全て一人で実習するのが普通なのだが,こっちはやっぱり衛生士さんが出てきて,印象材を練ってくれるし,機械の調子が悪ければ,メインテナンスの人が控えていてくれるし,技工士さんも見学していてくれたので,想像していた人数よりは,かなりにぎやかな実習風景になった。すでに彼らが歯科医師の免許を持っていることもあるだろうが,日本の自分の大学の学生に教えるよりは,非常に反応がよく,次から次へと質問責めとデモンストレーションをして見せなければならず,うれしい悲鳴。終了時間までの時間配分もほとんどぴったりで,第1回目にしては,上出来だ。

 午後から,運送機材のピックアップをかねて,再びコロンボへ。今日は,キャンディ側が昼間だったので,コロンボに降りていくまでの風景を楽しむことができた。なんと象が丸太に鼻を巻き付け,人を背中に乗せて仕事をしているという写真でしか見られないような光景にも出会う。そのほか,インディージョーンズを撮影したというロケ地をよく見ると,奇岩が!その名も「バイブル・ロック」今日は,午後からやけにシャッターチャンスが多い。

 約3週間ぶりの大都会。車同士が擦り合いそうなくらいの渋滞もちょっと懐かしい。夜は,他プロジェクトの人たちと明日の会合の打ち合わせをかねて,またあのSeoul gardenへ。今日は念願のカルビも。2次会はヒルトンホテルで,英語カラオケ。ごちそうさまでした。今日の泊まりは,ガラダリホテル(Galadari Hotel 64, Lotus Rd., Colombo 1 Phone 54-4544)。ここって,前に爆弾でかなり被害を受けたホテルだということ。ちょっと古めかしいが,大蔵省を目の前に,ゴールフェイスの浜辺がすぐ横にと,ロケーションだけはかなり良さそうだ。もちろん爆破の痕跡を感じさせるところはもう無い。ここはアラブの経営だとのことで,食事に豚が絶対出てこないのだそうだ。今日からこのホテルを中心に韓国フェスティバルをやるのだそうで,1回のロビー付近は,かなりりっぱな飾り付けが。ホテルに戻ったのはすでに深夜をまわっていたので,あっという間に寝付く。

本日のシンハラ語:(飲み物をつがれているとき,食べ物をサーブしてもらっているときに)アティ:もう十分。そこでストップ。

7月20日(木):午前中は,建設機器のトレーニングセンターCetracへ。ここもJICAのプロジェクトの一つ。プロジェクトは,どれも対「人」で行われるので,いろいろと問題も出てくるようだ。問題分析のPDMが行われたので,僕はオブザーバーとして見学。PDMって,「コーチング」に似たところがあるような気がするのだが,JICAのプロジェクトに関係しなかったら,こんな事思わなかっただろう。

 スリランカオフィスで荷物のピックアップ。といっても,量はそれほどでもないが,細かいモノがたくさんありすぎるので,この場で調べ上げるのは,断念。日本から自分の作ったリストを持ってくるんだった。後悔。さらに,スリジャヤワルダナプラの看護学校を見学して,キャンディへ。帰り道は,ほとんどうとうとしていた。H先生専属の運転手もかなりドライビングテクニックに長けている。夕食は,ホテルのバッフェ。

本日のシンハラ語:ティカク:少し

7月21日(金): 朝は,2回目のワークショップ。彼らが9時からやろうといったのに,結局きちんと始まったのは,10時。ま,こんなもんだろう。一応終わった後のアンケートでは,好評だったみたいだけれど。今日は暑かった。大学から帰って,いきなり水物を1リットル。バーカウンターのお兄ちゃんも変なやつと思ったかも。

 専門家として参加したときのプロ技方式の利点は,同業者で異なる専門を持った人たちと同じ目標に向かって共同作業ができることかもしれない。スリランカに技術を教えに来ただけのつもりが,結構彼らから間接的に教えてもらうことも多く,下手をすると日本にも同じような問題があって,スリランカの方が解決が簡単なこともあるように思う。自分の置かれている環境が良くなければ,「良くない」と上の人間にに直接伝えることができるこっちの大学のシステムはとてもうらやましい。  MAWARI.COMのスリランカページが,とうとうサーチエンジンで検索されるようになったのを確認。夕食は,ホテルで。

本日のシンハラ語:ガーナ・キーヤッダ?:いくらですか?

7月22日(土):宮部みゆき,クロスファイア(上下巻)読了。夕食ヒルトップ 。

本日のシンハラ語:ル(R)ピヤール(L) パナハイ:50ルピーです。

7月23日(日):7月23日は,1983年に初めてLTTEがテロ活動を開始した日で,彼らにとっては記念の日。お祝い代わりに,ドッカーンとやるのではないかと,政府や警察も警戒しているとのことだが,とりあえず今日は,何もなし。 最初のアセスメントを英語になおし始めた。夜抜き。

本日のシンハラ語:エカ,デカ,トゥナ,ハタラ,パハ:1,2,3,4,5

7月24日(月):こっちで初めて自分主導の治療を。見学だけしているときに比べて,更にモノがないことを思い知る。日本は便利だったなぁ。X線フィルムもコットンロールも,平頭充填器もないんだぜ。どうやって治療しろってんだいっ!夜は,ヒルトップでミックスグリル定食。

本日のシンハラ語:ハヤ,ハタ,アタ,ナマヤ,ダハヤ:6,7,8,9,10

7月25日(火):こちらの学生に,日本人の卒業したての学生にする質問をしたら,日本の学生よりもよく知っていて,こちらがタジタジとなることも。知識については問題ないんだ。スリランカの大学教育に必要なのは,お金と実践経験かも。

 今日の朝日新聞のサイトで,僕の大学のスキャンダルがまた取り上げられていた。何も異国の地に来てまで,自分の大学の悪行が暴露されなくてもと思ったけど,写真に出ていた資料から見ても,これは間違いなく内部告発だろう。自分の大学が内外的に求心力を失っていることの現れだろうし,これで,多少でも自浄作用が働くならいい機会かも。今後の大学側の対応から,それがはっきりするだろう。

 夕方は,ホテルのバッフェ。ここのところ,オンシーズンになってお客さんが増えてきたせいか,1日おきに,例のギターとアコーディオン,パーカッションのメキシカン風4人組バンドが夕食時にやってくる。最初は,みんなの前で3,4曲披露し,そのあと各テーブルをまわる。問題は,このバンド,やっぱりへたくそなんだな。しかもリクエストを訊くくせに,相変わらずレパートリーがない。いろいろ世界的にも大ヒットしたと思われる曲を言っても,アコーディオン担当のおっちゃんは,ヴォーカル兼ギターの男に,「こんな曲だよ」と弾いてみせるのだが,どうもギターのお兄ちゃんは,よくわからないらしい。ギターの調弦もいい加減だし,こいつらちょっとは練習することなんてあるのかなぁ。今日も,こいつらでもこれはぎりぎり知っているだろうと思う曲をふっかけたら,ことごとくできない。「僕ら,ここに長く滞在して居るんだから,僕らのところに来るときは,練習してから来いよ」とつい口に。今日のチップは,B先生と一緒に20ルピー

本日のシンハラ語:デンナ:〜を下さい。

7月26日(水):キャンディのポストオフィスに。H先生が書留でモノを送るのにおつきあいさせてもらったのだが,書留のレシートは,ノートになんだかごちゃごちゃ書いてそれをぞんざいに途中からちぎったもの。まぁ,カーボンコピーは,取っていたみたいだけれど。Hリーダーに書きかけのrecommendation letterを見ていただく。せっかくJICAの研修で習ったことが,何も生かされていないことがわかって,がっくり。全面書き直し。まだ,途中だったから,傷が浅くて良かったけど。ここだよ。使うところは。JICAの研修って,役に立つんだろうけど,自分で忘れちゃってたら,意味がないな。その気になっていざ英語を読み直してみると,全然,直線論理になってないじゃないか。ホテルに帰って,またドキュメントを作成して,ふと目をモニターからそらしたら,ヤモリと目があった。

 夕食はは,ホテルのバッフェ。今日はまとも。昨日とは違うバンドが来た。ギターは2本で,コーラスも4人でちゃんとハモっている。でもサービスが,いまいちかな。昨日のバンドと比べて,あまり上手だったので,50ルピーあげたけど,1曲で去っていってしまった。でもギターの調弦がやっぱり,いまいちなんだよな。弦もあまり張り替えていないんだろう。昨日のバンドの方がかわいげがあるかも。

本日のシンハラ語:イトゥルサッリデンナ:お釣りを下さい。

7月27日(木):今日も暑い。が,東京ほどではないらしい。研究室のドアと窓を開けっ放しにしておけば,25.5℃。しかし,湿度は思ったよりも高いので,のどが渇く。水道の水を直接飲む気にはならないので,やはり水分をとる機会が東京にいるときよりも減るのは,仕方ないだろう。こちらで治療を指導するにあたり,テンポラリーのライセンスが必要になるのだが,その申請書類が,Sri Lank Medical Councilというところから届いた。

 夕方は,ホテルのバッフェ。今日も例のバンドの日。一通りテーブルをまわっているときに,僕らのテーブルにもよって,「後で来るからな」と一言。お?とうとうリベンジかと思い,わくわくして紅茶をすすりながら,待っていると「今日はスリランカンナイトだ!」といきなり宣言され,今日は僕らがリクエストする余地もなく,2曲終了。聴いたことのない曲だったので,それなりに練習したのかも。ま,今日は,これくらいで勘弁してやらぁ。

本日のシンハラ語:キャックマイ:痛い

7月28日(金):昨日のテンポラリライセンスの申請書を仕上げた。大学の隣にセイロンバンクがあるので,そこから,コロンボに送金。500ルピー。送金手数料は,向こうが持つ仕組みかな?よくわからないが,とりあえず係のおじさんの言うなりに,送金申し込みの用紙に自分の住所,名前,送金先の名前と住所などを書き込んで,別の窓口へ。と,まだ足りないからと,カウンターで,さらに別の用紙に自分の住所と署名を追加。紙質が悪いから,ボールペンでちょっと強く書くと,破れちゃうんだな。まぁこんないい加減なやり方でも,社会はそれなりにうまく動いていると,また実感。テンポラリーのライセンスも,それが来ないと治療ができないと言うわけではなくて,申請したという事実が大切なのだとのこと。500ルピーはJICAに出してもらいました。金曜日は特に,午後4時半を過ぎると,ひとっこひとり学内にいなくなる。日本の大学だったら,夜の10時11時なんて,ざらだし,必ず誰かいるんだけど,スリランカの人たちは,短く働いて,余暇を楽しんでいるのかな。けっこうこういう状態はうらやましかったりする。

 夕方,ホテルでお腹が空いたときのつまみをカーギルスで購入。ここは,キャンディの中心に近いところにある。そこから徒歩で,B先生と「都」へ。久しぶりの和食らしいものに,最近ちょっとスパイスでだれ気味だった胃袋が喜んでいるようだ。帰りの足は,僕にとっては2回目のBajaj(Three wheeler)で。夜風を切って,走っていくのが,かなり気持ちよい。お店の人に交渉してもらって,僕らだったら,400ルピーくらいふっかけられて,200ルピーくらいは払っていたんじゃないかというところを,たった70ルピーで。間違いなく僕らにはネゴシエーションできなかったなぁ,きっと。

本日のシンハラ語:ハリ:OK ,ハリ・ホンダイ:Very Good

7月29日(土):朝からぽつぽつと雨。テニスの予定だったのだが,残念。どこに行くにも運転手付きの車を使っている毎日なので,自分の足で動くという機会を積極的に作っていかないといけないという意識だけはあるのだが... 午前中に歯学部長から携帯に電話があった。来週日曜日にランチにおいでとのこと。なんでもすごい家らしいので,楽しみ。今日は,自分のプロジェクト紹介のプレゼンテーションファイルを作成,来週のワークショップにつかうハンドアウトのドラフトに手を付けた。夜は,ホテルのバッフェ。今日は何にも美味しいものがなかった。例のバンドの日だったが,「今日はスリランカンソングと英語の歌とフィフティ・フィフティ」だって。考えたな。

本日のシンハラ語:マゲービラデンナ:僕の勘定書持ってきて。

7月30日(日):自分の人生で,これほど毎日バナナを食べた日はないと思う。それほどこっちのバナナは美味しい。食べているといったって,1日1本程度なのだけれど,パパイヤもそうだ。日本にいたときは,果物が目の前に出てきてもあまり手をつけることがなかったのだが,ほとんど毎朝食べる習慣が付いてしまった。最近は,スイカが甘みをつけてきたので,これも楽しめる。パッションフルーツも蛙の卵みたいな見た目の割にけっこういける。昼間,ホテルで例のごとくクラブサンドを食した後,部屋に戻って手を洗うと,真っ茶色の水が! こりゃ,確かに飲めないな。

本日のシンハラ語:メーカデンナ:これを下さい。

7月31日(月):午前中は,臨床のお手伝い。僕らの歯科技術は,いかにモノに依存しているかを再認識。日本から持ってきた材料があっても,それを混ぜる道具がない。日本だったら,その辺にごろごろしている接着剤がない。そのたびに,誰か人を頼みに行くのもだんだん面倒になるので,やっぱり治療が進まない。彼らにとって,本当にリーズナブルな技術って何だろう?って考えてもなかなか答えは見つかりそうにない。

 ランチをスリランカ人のRさんにごちそうになる。右手で食べるのを見せてもらった。正式な食べ方では,具とライスを右手で混ぜ,少し指がそるくらいに,指先で,握る。このとき,混ぜたモノの高さは,第2関節くらいでとどめておくこと。第3関節までいくと綺麗な食べ方ではないとのこと。その後形が崩れないくらいに堅く握った具とご飯を親指で押し出すように口の中に入れる。が,指はしゃぶってはいけない。などなど。握ることすらうまくできないのが,悔しかった。でもおいしかったよぉ

本日のシンハラ語:ギッヒーン・エンナムSee you again