1997.05 |
1997.06 |
1997.07 |
1997.08 |
1997.09 |
1997.10 |
116.43 |
114.3 |
117.74 |
119.39 |
121.44 |
120.29 |
1997.11 |
1997.12 |
1998.01 |
1998.02 |
1998.03 |
1998.04 |
127.66 |
129.92 |
127.34 |
126.72 |
133.39 |
131.95 |
1998.05 |
1998.06 |
1998.07 |
138.72 |
139.95 |
143.79 |
まぁ円安は仕方ないにしろ,その他にも,このアメリカ生活ではちょっとしたことを知らなかったばっかりに,いったいどれだけ払わなくてもよい,無駄なお金を使ったことだろう?全部授業料だと思うには,ちょっと多額すぎたかもしれません。
シティバンクに登録してある住所の変更は,電話でできると言うのだけれど,それは日本に帰ってからだとのこと。シティバンクは日本の銀行としては抜群なのだけれど,もう帰るところの住所も決まっているのに,相変わらずちょっとだけ融通が利かないなぁ。
AAAは7月半ばまで期限が残っているのですが,これもキャンセルしようとオフィスに行ったところ,即日ではなくて,期限後に解約になるようにしてくれました。日本に戻ってもちょっとだけAAAの会員でいられます。まぁ特に受けられるサービスもないのだけれど。
それから,いつものようにインターネットから,帰国前に寄るシカゴのホテルを予約しようと検索したところ,大きなコンファレンスでもあるのか,この日だけは,なんだか全然空いていなくて,ちょっと焦っていたのですが,これもAAAで予約することができました。いやぁAAAは,実に便利でした。これだけは元を取ったなぁ。
今日は,ケーブルテレビの会社から人が来て,チューナーが取り払われてしまいました。フィーダー線だけつないでみてもホワイトノイズが映るだけで,あれだけたくさんあったチャンネルがひとつもきちんと映らなくなってしまったのは,全部理解して見ていたわけではないにしろ,寂しいものです。まぁ,幸いビデオデッキ付きのテレビなので,録りためておいたビデオでまだ子供を騙すことはできます。
NationsBankのチェックカードは,ドル建てのビザカードとして日本でも使えるとのことです。日本に帰ったら,支払方法を考えながら使うカードを選ぶようにしようと思います。
郵便局に行って,郵便の転送の手続き。用紙に記入するだけですが,転送を始めるのに2週間かかるので,もうちょっと早めにしないとねと言われてしまいました。でもなんとかするからと言われたのですが,ちょっと不安。
おみやげ物を買いに,ノースカロライナ名物も扱っている食料品店サザンシーズンに行きました。ちょうどセール中だったので,ラッキー。後は,TJマックスでも,ちょっとしたおみやげ物を購入しました。
今日は,お世話になった講座のF教授とボスのC先生とともにJ.gilbert's wood-fired grillというレストランで,お別れ会を開いていただきました。ここはC先生の自宅近くなのですが,僕らが来た最初の頃は,まだブルドーザーが動き回っているような更地だったのが,いつの間にか立派なWellington Parkというショッピングセンターに変わっていました。割といつも安心して食べられるリブアイ・ステーキを注文したのですが,チャペルヒル周辺で行ったアメリカンレストランの中ではかなり上位に属する,雰囲気良し,料理良しのお店でした。会話も楽しくて,よかったなぁ。ボスからは,よく仕事をしたので,ということでペンをいただきました。部下にペンをプレゼントするというのは,とてもトラディショナルなことなのだそうです。
6月2日(火):だんだんお尻に火がついてきました。ボスは未だに僕が担当していた実験がまだ終わってないからと言って,僕に終わりまでやらせようとしてくるし,車を買いたいと言ってくれたUNCのP先生の英語は,ポルトガル語訛りが入るのでちょっとわかりにくくて,しかも売買するときの手順などは,二人とも全くわからないので,今週はどういった展開になるのか,まるで見えてきません。わかっているのは,木曜日の午前中に引っ越し業者が来て,荷物を運び出すと言うことだけ。やらなくちゃいけないことは山ほどあるのに,何から手をつけたらよいのかわからない状態。ボスがまた言う。「今日は,なんだかナーバスだな?」当たり前だぁっ!
昼は,Wさん,Uさん,Sさん,Yさん,Tさんに,お別れランチパーティを開いていただきました。UNCマーク入りのネクタイを貰いました!いやぁ自分では買うのにちょっと勇気がいるデザインだったけど,つけてみるとすごくかっこいいです。ありがとー!お店はフランクリン・ストリートからちょっと地下に入ったところにあって,わざわざ僕が知らないお店を選んでくれたそうです。美味しかったです。いやぁ,まだまだ知られざる名店は多そうだなぁ。
引っ越しに備えるため,オフィス・マックスで書類整理用のファイルなどを買ってきました。なんと昨日チューナーを取り外したのにも関わらず,ケーブルテレビから請求が来ていました!内訳は僕らがいなくなってからの分。やっぱりいい加減な会社です。夕食は,チキントマトクリームライス(OBE)
6月3日(水):明日引っ越し業者が来るので,今日も休みにしました。業者の人が,どのくらい箱詰めできましたか?と電話で聞いてきたのだが,ほとんどできていないので答えられませんでした。うーむ。
車を買ってくれるP先生とは,とりあえず,金額を決め,チェックのやりとりを金曜日にすることだけは,決めました。中古車を売買するときには,タイトルと呼ばれるものも一緒に渡すことになっているのは知っていたのですが,どうも実物を見たことがないような気がします。車や家の中を探しまわって,車を手に入れたときの事務手続きの書類などを手当たり次第見たのですが,どうもそれらしいものが見あたりません。不安になってきたので,ユニバーシティモールにあるライセンスプレートオフィスに行って,どんな書類が売買に必要なのかを,直接聞きに行くことにしました。どうやらここもDMVの支所のようです。窓口の人に自分の車に関係すると思われる数字が書いてある書類を全部見せたら,あんたには,まだタイトルを送ってないといわれる。え?どうやら車を買ってから新しいアパートに移ったので,住所変更がうまくいかずにラーレイにあるDMVヘッドクオーターオフィスに戻ってしまったようです。
自分でも人種偏見だとは思うものの,今までアフリカンアメリカンの人には,冷たくされることが多いように感じていたのですが,この窓口の人に限っては,ずいぶんと親切でした。アメリカ人はすっごく親切か,すっごくいじわる(冷たい)かどっちか極端な人が多く,話してみるまではわかりません。極端に意地悪と言えば,最初のアパートのマネージャー,キングめ!完全に,彼にはしてやられました。アパートを移るときに,郵便物転送の手続きもしてあげると僕らに言ったのは,やっぱり全部ウソだったことがわかりました。1年も前のアパートの件が,未だに尾を引いているというのも,呆れてしまいます。
さて,ラーレイからタイトルを送ってもらうには,時間がかかりすぎるので,直接オフィスまで取りに行きました。I-40でEXIT300を出ると,DMVまで道標が続くので迷うことはありません。無事タイトルも手に入れ,車を売る前にはきめ細かい日本人らしくそれなりのことをしておいてあげようと思って,ついでに車のチェックを,この車を買ったディーラで,やってもらいました。
夕方は,家内が一年通ったオレンジ郡のESLに僕も一緒に行きました。チャペルヒルを離れる彼女のために,今日はスペシャルバージョンだとのことで,生徒も先生達も彼女にいろいろ声をかけてくれ,みんなで「また会おうね」カードを書いてくれました。最後にみんなで写真を取って,「まわりのアメリカ」を渡米前から読んで下さっていたHさんご夫婦にもお暇乞い。このウェブサイトのおかげで,とてもたいせつな友人が増えました。でも僕は,彼らが思ってくれているほど,きちんと対応できたのだろうか?とちょっと不安。とはいえ,インターネットのすばらしさは身をもって実感しています。
ESLの後は,もう時間がないので,お手軽にバーガーキングで適当に。と思ったら,すごい雷雨。今日中にパッキングは終わるのかなぁ。
6月4日(木):夜通し,引っ越しの荷物を段ボール詰めをしていたのですが,仕分けなどに手間取り,まわりが明るくなってきてもいっこうに完了した箱の数が増えません。未明には,電話も繋がらなくなってしまいました。電話は,最初の時と同じように誰か人が来て,disconnectするのかと思っていたので,万が一,係りの人が今日来られなかったときのことを考えて,ちょっと早めに契約終了にしたのですが,遠隔操作で接続を切ることができると知っていたら,もうちょっと先にしておけば良かったなぁ。段ボール箱が増えてくると,今度は,部屋の中を避けて歩かないといけなくなるので,結構じゃまです。明け方からまた雨が降り始めました。引っ越し向きの日ではないなぁなどと思いながら,また焦る気持ちに拍車が。
もう10時,そろそろ業者が来るはずです。部屋中,段ボールだらけなのに,まだ終わっていません。しかも段ボール毎に中身のリストとおおよその評価額を決めないといけないのに,それもまだです。「あと3時間あれば!」と思ったときに,ヤマト・シャーロットの所長さんがニコニコしながらやってきました。僕が「いやぁ,見込み違いで,全然終わってないんですよ。ごめんなさい。」というと「はっはっは!」と,いきなり笑い飛ばされてしまいましたた。どうやらなんでもお見通しのようです。
所長さんと,途中からもう一人加わって,箱詰め作業が急に,はかどり始めました。さすがプロです。段ボールひとつ作るのでも実に早いし,僕らがいい加減に詰めたものを,てきぱきとあまり隙間ができないように詰め直していくのも,見事なものです。僕らだと,それぞれの品物を見ては,ちょっと思い出に浸ったりという部分にも時間がかかるので,全く効率が違います。
昼頃レンタル家具の業者も家具を引き取りに来ました。タンス,食卓,ソファー,コーヒーテーブル,ランプ,僕らの生活の一部だったものが,あっという間に運び出されてしまいました。部屋も急に広くなりました。午後3時にはほぼ作業が終了しました。アメリカに来るときには,段ボール2個しか送らなかったのに,日本に送る段ボールは,34個。1年間でずいぶんものが増えたものです。箱詰め作業の最後の方は,もう考える時間もなくて,捨てても良さそうなものまで詰めてしまったので,きっとこの荷物が日本に着いたら「なんでこんなものまで!」というものもあるに違いありません。ムービングセールで売れたコンピュータデスクやFUTONベッドも,彼らが運び出して届けてくれました。日本の税関での通関手続きと,ヤマトの空港カウンターでの処理の仕方について,いろいろと教えてもらいました。それから銀行に一緒に行って,運送費分のサーティファイドチェックを作って渡し,全て終了。
レンタルの洗濯機と乾燥機も今日引き取りに来るはずだったのに,こちらはいっこうに来ません。最初の時も洗濯機と乾燥機は決められた日に来なかったのですが,最後まで彼らはいい加減でした。直接レンタル家具のオフィスに行って,文句を言うと明日,朝必ず来させるとのこと。まぁいいや。僕はちょっと風邪気味で,グロッキー。朝も昼もろくなものを食べていなかったので,夕食は,辛いものでも食べて元気を出そうと,Fortune Gardenでトムヤングンのスープと炒飯など。ベッドもなくなってしまったので,帰る時に捨てていくつもりの毛布にくるまり,床の上に直接寝ました。
電話が切れたと同時に,外界との接続が全くたたれたような気持ちになったのですが,さらに,もう僕らの部屋には携帯して持って帰る荷物以外,なにも残っていないので,なんだかずいぶん惨めな気持ちです。ホテルに泊まれば良かったかなぁ。明日は,金曜日。みんなに最後の挨拶をしないと。
6月5日(金):今日は,P先生に車を引き渡す予定なので,車がなくなっても困らないように,朝,空港までレンタカーを借りに行きました。月曜日までの3日間で約80ドル。今回は,車の保険に入っているからと言ったら,レンタカー会社の保険はつけないでも借りることができました。フロリダでは無理だったので,州によって多少差があるのかも。
大学では,お世話になった方たちに,最後の挨拶をしてまわったのですが,つい話し込んでしまったりするので,意外と時間がかかります。48時間かかるボスから任された実験もやらないといけないのですが,こちらはもう,とても終わりそうにありません。さすがに僕がかなり忙しいことは,ボスもわかっているので,今日は,「実験の手順をわかるようにしておいてくれれば,今日の分は僕が替わりにやっとくよ」(たぶん本心ではないのだけれど)などと優しいことを言ってくれたので,これ幸いと手順を教えて後を任せ,車の譲渡の登録をしに出かけました。
P先生にお会いしたところ,彼は,伝えたかったことがあったというのに,もう僕らの電話が切れてしまっていたため連絡が取れず,悪いことをしてしまいました。伝えたかったことというのは,車の売買時にやりとりする「タイトル」の裏にそれぞれの署名をする必要があるのですが,その署名をnotary(公証人)と呼ばれる人に文書と署名の真正を証明してもらわないといけないということ。幸いP先生のメインバンクにnotarizeをしてくれる人がいたので,その人の前でいわれるままに署名をし,これはクリア。
その後,ユニバーシティモールにあるDMVのライセンスプレート(ナンバープレート)オフィスへ。ライセンスプレートは,記念にもらえると聞いていたので尋ねてみると,あっさりダメだと言われてしまいました。それでも引き下がらず,ライセンスプレートに貼ってあるノースカロライナ州の特別なシールをはがせば,もらえると聞いたんだけれど?というと,それはパーソナライズド・プレート(自分の好きな文字や数字をライセンスプレートにつけたもの)の場合だといわれ,諦めました。P先生も「タイトル」を見るのは初めてで,自分で持っていないかもしれないというので,受付の人に聞いたら,一瞬のうちに調べてくれて,車のローンが終わるまでは,銀行が「タイトル」を保管しているものだということもわかりました。なんでも聞いてみるもんですね。
オフィスでタイトルに走行距離数を付け加えて,P先生が取得税を支払い,彼が自動車保険にも加入していることを確認して,事務手続きは終了。車は一昨日定期検査済み,今日はさらに洗車して,車内の掃除も十分して,引き渡したのですが,アメリカ人でここまでする人はいないのだそうです。UNCで働いているP先生の奥様にも感謝されてしまいました。車の鍵を渡して,代金をサーティファイドチェックでもらって,全て完了。
一年間お世話になった車を横目で見ながら,心の中でお礼を言ってレンタカーに乗り込みました。ちょっと寂しい気持ちは,しかたありません。車の代金はそのまま銀行の定期預金口座に預けました。利率はなんと5.20%!8カ月は引き出せないものの,円安がこのまま進めば,日本ではまず見ることができないほどの高金利。さらにありがたいことに,僕らは外人なのでアメリカの税金はかからないのだそうです。
大学に戻ったのは,5時過ぎ。すでに多くの人が帰宅してしまっていました。直接会って挨拶をしたかった人たちも,帰ってしまっていました。残念。ボスに任せた実験は,器具の故障で失敗してしまったと愚痴をいわれたが,これで明日また続きの実験をしなくてすむかと思うと,内心ほっとしました。
夕方から,滞在中に子供のプリスクールを紹介してもらい,今はwebmasterとしても頑張っているNさん宅で,お別れ会を開いていただきました。招待していただくことがなければ,食卓も椅子もなくなってしまった僕らのアパートで,わびしい食事をするところだったかもしれませんでした。美味しい料理とワインをいただきながら,楽しく時間を過ごせたなんて,Nさんファミリーの心からのおもてなしに,感謝,感激。
家に帰っても,いつまでも体が熱いので,ワインのせいかとも思ったのですが,念のため家に帰って,体温を測ったら8度4分。風邪薬を飲んで,ダウン。
6月6日(土):アメリカ滞在最後の週末です。仕事の整理がもう少し残っていたので,研究室に顔を出しました。部屋のドアの前には,所属している人の名前が書かれているのですが,ボスのC先生が,いまだに僕の名前を間違って書いていることに気づきました。最初から,僕のファーストネームは呼びにくそうだったので仕方ないし,自分の名前のスペルと発音が英語ではイレギュラーなことも理解できるようになりました。でも,1年もつき合っているのに,しょうがないなぁ。
日本だと上司やお世話になっている人をファーストネームで呼ぶなんて言うのは,とても失礼なことですから,まずありません。でも,アメリカだと,ファーストネームで呼ぶということが,お互いの距離をなくす最も重要な方法です。うちのボスの場合も,ファーストネームで呼んでくれと言われるまでは,呼ばない方がいいと思ってたら,いつの間にか言われないまま半年ほど経ってしまいました。その後ボスが僕をファーストネームで呼ぶように(努力するように)なったので,チャンスがあれば僕もと狙っていたものの,どうも直接の上司をファーストネームで呼ぶのは,抵抗感がいつまでも残り,結局,呼べるようになったのは,つい最近。他の人とは最初からファーストネームでつき合っていたので,これは特別のケースだと思います。
日米の政治の世界でも,ファーストネームで呼び合う仲になったなんて,喜んでいる日本の政治家もいますが,何のことはない,ファーストネームで呼ばせるということは,相手に歩み寄るということです。「ロン・ヤス」なんて,論外。相手を尊敬したらやっぱりアメリカ人もファーストネームでは呼べないのです(ファーストネームが呼びにくかった僕の場合は別として)。相手になめられないためにはファーストネームでは呼ばせないという選択もあるような気がします。ドイツなどでは,ファーストネームよりファミリーネームで呼ぶのが普通だったりしますので,アメリカのカジュアルさにそこまで合わせる必要もないのでは?,なんていうのは屁理屈でしょうか?
さて,相変わらず週末も平日と変わらず研究室に来ている,仕事が3度の飯より大好きなC先生にもしばらく会うことはないので,1年間お世話になったお礼とご挨拶。
今日も,朝から雨。アメ車のレンタカーの調子は,まぁまぁ。夕方からTさん宅にお招きいただきました。もう僕らのアパートには,本当に何も残っていないし,昨日,今日と「流浪の民」状態で,きちんとした場所,しかも新築のアパートで,心のこもった美味しい料理を頂けるなんて,僕らは幸せ者です。うれしいこと,この上ありません。娘も,3日違いの誕生日のT君と最後に一緒に遊べて,うれしくて仕方がないらしく,そこら中ではしゃぎ回っていました。どうもありがとうございました。
6月7日(日):アメリカ版ゴジラを,とうとう見に行きました。本当はそんなことをしている暇もないのですが,ちょっと逃避モードで,近くの映画館へ。初めてまともな映画をまともな映画館で見たのですが,この映画に関して言えば,日本語もいろいろと出てきたりするし,言葉をしゃべらないゴジラが主役の娯楽映画なので,英語力はほとんど必要ありませんでした。
夕方から,隣の研究室のY先生のお宅に招かれて,お別れ会をしていただきました。最後の晩を僕らだけで行動していれば,きっと寂しい気持ちになったに違いないのに,家具がなくなってから3日連続で呼んでいただけるところがあって,親しい人たちと一緒に時間を過ごすことができるなんて,有り難い限りです。再会を誓い合い,ガランとしたアパートへ。
さぁ,今日は,徹夜で片づけだぁっ!
6月8日(月):いよいよ今日がチャペルヒル最後の日。飛行機は,午前10時半発。少しは寝ないといけないとは思ったのですが,いろいろ思い出したり気になることもあり,4時半には目が覚めてしまいました。アパートを空にするのに,部屋を片づけながらダストボックスとアパートを20往復はしたと思います。まだ朝早く,アパートのマネージャーもまだ来る時間ではなかったので,いつもは月々の支払いのチェックを入れる箱に,アパートの鍵とThank youカードを入れて空港に向かいました。
しかし,いきなりフリーウェイのI-40が大渋滞。流入路まで車があふれています。こんな混雑を見たのは初めてです。仕方がないので,並行して走っているハイウェイ54号線で空港に向かうことに急遽変更。途中でI-40が流れているのを確認して,再度フリーウェイに戻り,レンタカーを返したのが9時15分。スーツケースなど大きな荷物をカウンターでチェックインできたのが9時45分。やっとほっと一息です。あまり忙しすぎて,チャペルヒルを離れる感慨をゆっくり感じる暇もなく,飛行機に乗り込みました。
飛行機が飛び立つと,小さな窓から見るトライアングルエリアは,やはり一面緑の中です。所々に森を切り開いた造ったような街が見えます。何度か行ったことのあるTRIANGLE FACTORY SHOPSやI-40も飛行機の窓から確認できたので,あの辺がチャペルヒルかなぁと思って身を乗り出し目を凝らしてみましたが,街らしい所はどんどん小さくなって,とうとうわからなくなってしまいました。
飛行機の行き先は,シカゴ。チャペルヒルから日本への直行便はないため,せっかくなのでシカゴで一泊することにしていました。シカゴが近づくと,飛行機からでもミシガン湖の大きさやダウンタウンに超高層ビルディングが所狭しと林立しているのに驚かされます。ちょうどNBAのファイナル戦の場をユタからシカゴに移したところだったこともあり,シカゴ・オヘア空港でもブルズのマークだらけです。
今夜のホテルは,空港に隣接しているヒルトン。せっかく1泊するので,チェックインを済ませたら,シカゴの夜景を見に出かけました。ダウンタウンまでは,タクシーが便利で,30ドル程度。100階建てのJohn Hancock Centerに登ってみました。94階にある展望フロアから見るシカゴの夜景は,それは素晴らしいものでした。どこまでもまっすぐ続くオレンジ色の街灯は,いつまで見ていても飽きることがありません。
夕食は,展望台を降りて隣に建つウォーター・タワー・プレイスのカリフォルニアピザキッチンで(本当は,シカゴはシカゴ風のキッシュのようなピザ(Deep dish pizza)で有名なのですが)。プラネットハリウッドやレインフォレスト・カフェなども行ってみたいところでしたが,さすがに疲れには勝てませんでした。また降り始めた雨の中,ホテルにタクシーで戻りました。その後,爆睡。
6月9日(火)〜10日(水):シカゴは,ジャズ,ブルース発祥の地なのに,NBAのファイナルゲーム中は,相手がユタ・ジャズという名前のチームなのでジャズを演奏しないなんて張り紙も。シカゴではスーツにネクタイを締めている人を多く見受けます。さすがここは,アメリカ第3の都市。大都会だけあって,身なりも整っています。やっぱりチャペルヒルは,田舎だったんだと実感。
出国手続きは,空港のチケットカウンターで簡単に済ませることができました。ちょっとウェイトオーバー気味の荷物が多かったようですが,係りの人がシカゴ・ブルズのネクタイピンをしていたので,「僕もブルズのファンなんだ。」などとニコニコしていたら,なんとかおまけしてもらえたようです。
飛行機は,エコノミー席は,満席とのこと。どうやらオーバーブッキングらしく,ターミナルで呼び出され,ビジネスクラスへアップグレードしてくれそうだったのですが,2歳の娘がいることがわかるとあっさりダメだと言われてしまいました。おかげで,娘は僕たちの膝の上で13時間を過ごすことになり,帰りの便は最初のロス行きに比べて,娘が成長したせいもあって,結構つらいものになってしまいました。まぁ,わかっていたことなのだけれど。
成田に着くのは,夕方の7時前後。どうやらあまり天気は良くないらしいようです。雲の中を少し揺れながら高度を下げると,雲が切れたところから関東平野が見えました。なんだか変な感じです。十数時間の距離が,アメリカを,近いような,でも遠いような不思議な気持ちにさせます。
滑走路がぐんぐん近づき,無事着陸しました。機内アナウンスを待って,機外に出たとたん,もぁっとした空気が。しばらく忘れていたこの蒸し暑さは,梅雨の日本そのものです。成田の第1ターミナルを歩くと,そこら中に漢字が書いてあります。なんだか中国に来たみたいな錯覚にも陥ります。通関手続きは,僕らの場合,引っ越しの別送品があるので,2枚税関で用紙を提出し,1枚を返してもらい,運送会社のカウンターに渡します。
税関を出ると,両親達が待ちかまえていました。家内の両親は,1年ぶりに見る娘に会えて,とてもうれしそうです。みんなでとりあえず食事をすることにして,ターミナル内の寿司屋へ。でも,出てきたものは,なんだかトライアングル・エリアで食べた寿司の方が,よっぽど美味しかったような気がして,ちょっとがっかり。
1年間空き家にしていた住処にリムジンバスで戻るため,列に並んだところ,隣から流れてきた強烈なタバコの煙にむせてしまいました。あぁ,ここはやっぱり日本です。
家について,ブレーカーをあげ,テレビをつけると,サッカーのワールドカップの話題で持ちきり。
夢にまで見た風呂の湯船に,お湯をあふれるほどいっぱいにし,肩までゆっくりお湯に浸かりました。
長い間,ご愛読ありがとうございました。
メールはこちらへ
1ドル当たりの円相場:月中平均 140.57円
月中最高値 134.50円( 19日)
月中最安値 146.75円( 16日)
日本銀行国際局の資料より